昨年、2021年9月末に新卒からお世話になった「大手保険会社のシステム子会社」を退職することになったので例にもれず退職エントリを書いてみます。
その会社にはちょうど2年半在籍していたことになります。大学は理学部物理学科ではあったものの手計算で参考書を追っかけていたような学生だったので、会社ではプログラミングの基礎を一から学ばせていただきました。
給与も悪くはなかったと思うし、仕事内容も激務ではなくて休暇も多く取れ、コロナ禍の2020年4月ごろからテレワークもできるようになるなど、総じて非常にホワイトな会社でした。
ではなぜ退職するのか。
今回はその理由を徒然と書いていこうと思います。
目次
振り返り
学生時代
大学は某国立大学の理学部物理学科に通っていました。
そこではスパルタな教授にお世話になりました。(後述するのですが、おそらくこの教授の下で勉学に励んだことが現在の会社を辞めたいと思うきっかけになった気がします。)
学生時代は真面目に勉学に励んでおり、 2回生,3回生の時には「成績優秀者」として表彰されたりしていました。
4回生になるとスパルタ教授の研究室で毎晩明け方まで勉学に明け暮れながら、週4つのゼミをこなしました。
ただ、そんな生活を続けていたら勉学に対するモチベーションが下がってしまい、本当であればそのまま大学院にも進むつもりだったのですが学部の4年間で卒業しました。(一応内部進学だったので口頭諮問のみで大学院の合格はいただけていたのですが蹴ってしまいました…)
だいぶ真面目に勉強していた(つもりだった)のですが、結局のところは試験で点数を取るのが楽しいというモチベーションで勉強をしていたので、研究室に入ってただひたすら勉強/研究することに楽しさが見出せず、加えて勉強すればするほど指数関数的に難しさが増大していくのを目の当たりにして心が折れました。
就職浪人時代(ニート)
大学では就職活動をしていなかったので、就職浪人をしながら就職活動を行いました。
研究室生活で心が病んでいたので、就職する会社の条件としては
・安定した会社
・激務じゃない
・休暇がたくさん取れる
という非常にホワイトなもので探していました。
しかし、あまり思うように内定がもらえませんでした。
それもそのはずで、就職をすると決めたのが卒業間際の2月中頃。加えて上記のホワイト条件で会社を探しています。
さらに、大学を半ば逃げるように卒業した後だったので大学の敷地に入るのが怖く、就職活動の仕方を大学の就職相談センターに聞くこともできずに、家でPCとマイナビのようなサイトを使って適当に就職活動をしていました。
そのような形で就職活動を続けて、内定が全くもらえないまま5月を迎えました。そのとき適当に見つけたマイナビの合同企業説明会の広告をみて意を決して向かいました。駅のトイレでスーツに着替えて現地に向かうまでに何度も家に帰りかけたのですが、何とか現地に至ることができました。
そこでは多くの企業が参加していたのですが、私はある光景に非常に面を食らいました。それは多くの会社が学生に対して「うちの説明を聞いてよ!そして入社してよ!」と勧誘をしていたことでした。だって考えてみてくださいよ。本当に良い会社だったら勧誘なんてしなくてもいいはずじゃないですか。もちろんある程度の勧誘や説明は行わないと会社自体について知ってもらえないので必要なのはわかるのですが、当時の私にとっては非常に異質な光景でした。
特に、某飲食サービス会社や某引越し会社の勧誘はすごくて、私は「なるほど。こうやって知識のない学生をブラックな業界に勧誘しているのか」とさえ思いました。
そんな中、私はある大手保険会社のシステム子会社を見つけます(S社と記述しておきます)。そのS社の説明を聞いている学生はゼロでした。ただそれでもその会社の社員は焦らずに飄々としており、私は「ここは絶対ホワイトな企業だ」と確信しました。そこで「説明を聞かせてください」と頼んで、エントリーを済ませました。
その後、0次選考(別途開催の説明会)、1次面接、2時面接、最終面接と進み、ついに6月中旬に内定をもらいました。
(また、選考が進んでいくにつれて、私が「ホワイトだ」と感じていた気持ちがますます強くなりました。)
ここの会社の内定をもらった瞬間に他にもよりホワイトで良い企業の選考が残っていたのですが、心が病んでいてすぐにでも就職活動を止めたかった私は全選考を辞退して、その会社に入ることに決めました。
このような経緯で私は現職に(ギリギリ)新卒入社しました。
社員時代
このS社にはちょうど2年半在籍していました。
1年目(2019年)
1年目は4月~7月までプログラミング(Java,HTML,CSS,Javascript)+ビジネス研修がありました。
その後、8月からは1年目全員+2年目数人で社内システムの開発/改修/保守を行うという研修の延長線上のような業務を行いました。
この研修?は大企業には珍しく革新的なもので、1年目からAWSを好きに触れる環境が与えられて若手のみでユーザー(人事がユーザー役)相手に要件定義・設計・開発・テスト・リリース・保守を行いました。
この業務では多くのことが吸収出来て、非常に成長できていいて、「この会社を選んでよかった」と心の底から思っていました。
その後、11月からはOJTとして現場に配属されました。
配属後はしばらく与える仕事がないということで暇な時期が続いていたのですが、1月ごろからselenideを用いたテスト自動化を任され、コードを書いていました。
また、1年目の感想としてはとてつもなくホワイトな会社ということでした。
研修中も、現場配属(OJT)時も17時を超えて働いたことは数回でした。
2年目(2020年)
2年目はちょうどコロナが流行り始めた時期だったので、リモート勤務になりました。
4月〜9月は、フルリモートの中で初めての開発案件を担当し、Java言語でSpringBoot + Thymeleafのフレームワークでシステムのエンハンス開発を行いました。
要件定義が完了した状態でのアサインだったので、設計〜リリースまで携わっておりました。
在宅で自由な働き方ができてかつ、開発業務もできて、加えてホワイトな勤務形態という恵まれた環境でした。
10月からはホスト開発の設計として、外部システムへ連携するDB項目の選定を行いました。いにしえの仕様書を読みながら連携すべき項目を探すのは少し大変な作業でしたが、そこまで嫌いな作業でもなかったのでなんとかやっていました。
ただ、この辺りから「項目の選定以降の開発はベンダーさんが行うから君はそこまでね」という話をされたりして、違和感を覚えるようになりました。
「できれば開発がしたいけど項目選定までかぁ」とか思っていたけど、他に仕事が与えられるならそれはよかったのですが、特段仕事があるわけでもなかったので在宅勤務で暇という状態で、家ではゲームしたりして時間を潰していました。
(もちろん、少しは仕事があったのでこなしていましたが、正直業務時間をフルで使用するようなものでもありませんでした。ここで仕事をくださいと上司にもらいに行けばよかったのでしょうが、一度もらいに行ったときに「今は任せられるものないなぁ」と言われてから、あきらめてさぼってました。)
果たしてここで20代を過ごして自分に将来があるのか不安になっていました。
3年目(2021年)
3年目になると急に仕事が降ってくるようになりました。きっかけは特にわからないのですが、1年上の先輩の育成とかが落ち着いたのかなとか思ってました。
このタイミングでは「2年目に開発していたシステムの次期エンハンスのPM」「同システムの次々期エンハンスの要件定義」「別プロジェクトの補佐(PMO+契約周り+雑務)」を主に担当していました。
(その他にも週次のチェック業務とかフロア移転の作業とか、若手に押し付けられがちな雑務をこなしてました)
それなりに忙しくさせていただいていたので、ある意味では満足感があったのですが本格的に仕事をするようになってみてようやく、S社社員の業務内容だったり、先輩社員の能力などがわかるようになってきました。
基本的にベンダーさんに依頼して、伝書鳩として働いて、低い能力のまま。加えて、それでも長く続けていれば昇給して、効率的にテキパキ働く人よりもダラダラ働いて残業代をもらう人の方が手取りが良い。
加えて、開発業務ができないであろう将来。これらに嫌気がさし始め、ついに転職活動に踏み切りました。
幸いコロナ禍のおかげで、家から一歩も出ずに転職活動ができる点も後押しされた大きな要因です。
ここまでが会社を辞める9月末までのお話です。
最後の方は不満を書いてしまいましたが、転職した後に考えると、日本であればどこの会社でもそうではあると思うし、むしろそういったホワイト企業を求めて就職していたので明らかに悪いのは私です。
なぜ辞めたのか
辞めた理由を端的に記載すると下記になります。
- 開発業務は協力会社に依頼して、基本的には親会社との伝書鳩に従事している業務内容が嫌だった。
- 上記の業務を続けてエンジニアとして将来的に路頭に迷ってしまうのではないか。
- とはいえ、社内でバリバリ働くよりもダラダラ働いた方が給料がもらえてしまうので努力しないことが最適解になってしまっていた。(=努力しづらい環境
- 開発業務がやりたい
- コードが書きたい(エクセルやパワポだけ触るのは嫌だ)
- 優秀な人が集まる会社で働きたい
よくある理由だと思います。それにどこの会社でも変わらない気もしますし、甘えてる理由なのもわかります。
ただ、このままアクションを起こさないと30代になった時に後悔すると思ったので、転職することに決めました。
転職活動の方法
Dodaとレバテックで転職活動を行いました。
(Greenとforkwellでもスカウト形式の転職活動をしていましたが、あまりうまくいってませんでした)
レバテックさんには多くの会社を紹介していただいたのですが、基本的にSIerを紹介していただきました。
というのも、レバテックのエージェントさんと会話した際に、「開発がしたい」「ただ、Web系だったり、ベンチャーだと将来が不安」といったことを伝えました。
すると、「であれば優秀なSIerに行くのをお勧めします。最近の優秀なSIerは一定開発も行えるし、技術的にも成長できると思います。」という形でSIerを進められたので、そちらの方面で転職活動を行いました。
幸いにもいくつかの会社から内定をいただけ、その中から金融系に強みを持つSIerに転職することに決めました。
次はどこに行くのか
次は都内某所の上場企業でSIerとして働きます。
金融系に強みを持つ会社ではあるのですが、以前勤めていたS社よりもはるかにハードな職場なので覚悟していきます。
(残業時間がえげつなそうな感じ。加えて会社名を調べると「やばい」「激務」などが予測候補に挙がってくるような会社です・・・)
こちらの会社でバリバリ働いて開発も含めて、「要件定義」~「運用」までを一貫して行える人材を目指していきます。
後日談(入社してほぼ半年経つ状態での近況)
とてつもなくハードです。
入社して2,3か月目はほとんどタクシーで帰るような毎日でした。
(タクシー代は当たり前のように支給されます。残業することに対して肯定的な会社なので・・・)
加えて、業務内容としては「テストチーム」「要件定義担当」といったものなので、結果としては開発もできずにパワポやエクセルを触っています。
ただし、以前の会社よりも遥かに優秀な人が多くて(その分気後れというか劣等感に苛まれるのですが・・・)、要件定義であっても毎週壁にぶつかりながら、何とか乗り越えて少しずつ成長できているのを感じています。
パワポで作成する資料の量が前職の10倍近くあるのと、それを顧客に向けて説明するのを全て矢面に立たされるので嫌でも成長します。ただ、PMの方が優秀な方で壁にぶち当たって粉々になりかけている私を「こういう風に整理して進めよう」「今持ってるタスクをこうやって分解して進めよう」とリードしてくれるので、何とか歩み続けられてます。非常に良い成長環境にいると自覚しています。
ただ、それであってもやっぱり開発がしたい。
このあと要件定義が完了したら、そのまま設計→開発→テスト→リリースまで担当していくことになります。その際に開発チームのリーダーのような形になるそうなので、そこで少しは開発できるかなと期待しています。
(ただ、開発チームのリーダー=「開発メンバーのタスク管理だったり進捗管理だったりをしていく」ということになると思うので、開発はバリバリできずにむしろ管理者みたいな形になりそうですが・・・)
本当の気持ちを言うと、少し転職先を間違えたかなぁとは思っていますが、前職よりも給料が良いということもあるので、あまり文句は言えないなぁといった気持ちです。
また、社員の中に開発に卓越した人がたくさんいるので、この会社でも機会が与えらえれて成果が出せれば、開発業務に従事し続けることは可能ではあります。なので、開発ができない(与えられない)環境ではないとは思うので、心が壊れるまでは今の職場で頑張っていきます。
具体的な仕事内容や状況はまた別の機会にブログに書きます。