【SIer】2022年、1stクォーターの近況【若手エンジニア、要件定義】

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早いもので2022年も三分の一が過ぎました。

今回は1~3月の近況(主に仕事関係ですが)を書き連ねていきます。

(転職して4~6ヶ月目になりました。)

この時期は壁にぶつかって精神的に不調になりましたが、少しずつ成長することで乗り越えられるようになりました。

その前に、2021年10月〜12月について

10月〜12月は転職して直後の3ヶ月目でした。

▼転職についてはこちらの記事

 

今年の近況についてお知らせする前に、転職直後のことも書いておいた方が良いと思ったので書いておきます。

入社1日目からPJに配属されました。そのPJは現在要件定義工程とのことで、顧客と打ち合わせ三昧な日々ということでした。初日は簡単に顧客に導入しようとしているPKGの説明を受けて、PCの初期セットアップをおこなっておりました。

そんな中突然PJのPMから「しばらくはこのPJでの活動ではなくて、別の炎上中のPJのテストを手伝ってもらう」と言われました(この時点で不安がマックスになりました。)

そして、2日目からは社内の別PJでテスト要員として働くことになりました。ただ、聞くところによると炎上中PJで使用しているPKGは本来所属しているPJでも導入を試みているPKGであるとのことでした。なので、「どのようなバグが出ているか」を経験して本来のPJに戻ってきた時には、そのバグを出さないように経験を活かしてほしいとのことでした。

ちなみに2日目に指示された仕事は200ケースほどのテストを3日で叩くというものでした。試されていると思ったので全力でやりきりました。(2日目から23時帰宅になりました)

そんなこんなでいつまで炎上中PJの支援を行うのかも知らされぬまま、テストチームでの日々が始まりました。

結果としては10月〜12月でテストチームでの活動が終了という形になり、今年1月から本来のPJに戻ってくる形になりました。

大まかなトピック

さて、2022年1-3月の話の戻ります。

大まかに起きた出来事は以下のようなものです。

  • 本来のPJに戻った
  • 要件定義が始まった
  • 2月から顧客会議のメインスピーカーになる(週2)
  • 3月の納品と顧客会議が重なりストレスが最大になり、カウンセラーに相談
  • ストレスで歯が欠ける
  • ストレスを乗り越えて今(※5月現在)

書いていて闇が深い出来事しか起きていないですね。思い返すと辛い時期でした。

(今もですが…)

1月(要件定義開始)

1月からは派遣先PJから戻り、本来配属されていたPJでの活動になりました。

私はそのPJで一部領域の要件定義を任されることになりました。私自身、社会人3年ほどの経験で初めての要件定義でしたので不安でいっぱいでした。(前職でも少し要件定義を行っていたが、小さいシステムのエンハンス開発の要件定義だったので、今回のような大きな規模(数十億規模)の初期開発の要件定義は初めてでした。)

昨年から要件定義はしていたものの弊社パッケージの説明をしたのみになっていた状況で、お世辞にも要件定義が進んでいるようには見えません。

というのも、昨年の要件定義後に再度要件定義を行うという形になっていたのでお客さま的にも「後で話すし・・・」という気持ちだったらしい。結果として後で話す方針ではなく、1月からは昨年話していたことの残課題を詰めていくという方針になっていた。(既に話していることはある程度決定したという形に)

お客さまや前に要件定義を担当していた方も含めて、誰も残課題全量を把握しておらず、私は昨年の資料を一通り目を通して残課題っぽい箇所を集めてとりあえず話し始めることに。

そんな形で1月は
・今後の要件定義の方針を決定
・方針を顧客へ説明+初顔合わせ
・2月以降に使用する資料作成
で、終始しました。

2月(要件定義ができない)

2月から実際に顧客打ち合わせが開始され週2のペースで打ち合わせに臨んでいた。

私にとっては、これがすっごく大変だった。

実は私の担当が2分野だったため、週2で2分野について話さなければならない。

つまり、毎週会議用の資料を2つ作成しなければならないわけで、しかもそれが個々に独立した議論を要求される。
会議当日の朝5時に納品とかザラにあった。

また、初の要件定義で頭の使い方がわからない。PCに向かってはいるが少しもアウトプットが出てこない。この時期の私はどうしたら前に進むのかが本当にわかっていなかった。
(自分の無能度に打ちひしがれました。)

しかも追い討ちをかけるようにコロナが再拡大した。その結果弊PJでもリモートワークでの働き方となりました。ほとんど新規参画者の私にとってフルリモートの働き方を強要された上で、資料作成を行っていくのは辛かった。
(毎週AM5時ごろに資料送られてくるのを見て顧客は何を思ってたんだろうなぁ・・・)

土日もずっと仕事のこと考えてた(働いてた)。けど、段々と土日に働こうと机に向かっても頭が働かず、手が動かず。

この時期は会社を辞めることだけを考えていた…

3月(納品、AWS試験、より不調へ)

3月も2月に引き続き全く進捗も埋めずに、体調も精神的にも不調になるばかりだった。

しかも、3月には顧客への納品があり、それにも関わらず通常通り週2の会議は行われる。
加えて、AWSの試験日程が被るという事態に。

その結果、睡眠がうまくとれなくなる。加えて、睡眠時に体を力んでしまい歯が欠けてしまった

本気で会社を辞めようとした。

毎週のように「今週終わったら辞めよう」と思っていたが、なんやかんや働き続けてた。
3月は不調のピークでした。

今後(少しだけ復活。まだ辞めたい。)

上述したように1~3月はひどい状況でしたが、4月以降はコロナも治まりリモート勤務が終了となり、同時に私自身の成長もあり、そこまで精神的に落ち込むことなく働けるようになりました。

具体的に何が原因で改善したのかというと(状況が勝手に変わったものもありますが)
・PJメンバーが全員出社体制になった
・土日に働くことをやめた
・資料なんて適当でも良いと開き直った(最悪1日あれば作成できると思うようにした)
・言語化が少しだけだがうまくできるようになった

という具合だと考えています。

特に、PJメンバーが全員出社体制になったことでストレスレスに待ち時間ゼロで質問できるようになったのが大きかったですね。

(私はリモート勤務が苦手で。課題だとは認識しているのですが、改善があまりできず…)

また、「言語化が上手くなった」も大きな要因だと思います。
2月時点では、要件定義として資料を作ろうにも全くアウトプットが出てこず、PCの前で唸っている時間がほとんどでした。よく言われる「悩む」と「考える」の違いというやつですね。当時の私は悩んでいました。

今も「悩む」状態に陥ることはありますが、以前よりその状態に陥っていることに気づいて、考えを言語化して少しずつではありますが思考を前に進めることができるようになりました。

 

また、6月以降に近況を記載しようと思います。

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